枕草子「二月つごもりごろに」徹底解剖!公任の難題を破る機知と現代語訳
枕草子「二月つごもりごろに」徹底解剖!公任の難題を破る機知と現代語訳の注目ポイントを丁寧に掘り下げてご紹介します。
舞台は2月下旬(二月つごもり=旧暦2月末)、冬の寒さが厳しく雪がちらつく日のことでした。中宮定子のサロンに、主殿寮(とのもりょう)の役人が一枝の見事な紅梅を携えて現れます。その枝に結びつけられていたのは、当時20代にして和歌・漢詩・管弦のすべてに秀で「三舟の才」と称された超一流貴族・藤原公任からの手紙でした。
書状を開いた一同は息を呑みます。そこには手紙の挨拶文などは一切なく、ただ和歌の下の句である「少し春ある心地こそすれ(少し春めいた心地がすることだよ)」という14音だけが記されていました。「この下の句にふさわしい上の句(5・7・5)を即座につけて返せ」という、公任からの公然たる知性テストだったのです。
定子付きの女房たちは「これは少納言が返すべきだ」と詰め寄ります。当時、中宮定子の一族(中関白家)は父・藤原道隆の死と兄・伊周らの失脚(長徳の変)により政治的な陰影を帯びつつありました。もしここで公任を納得させる歌を返せなければ、主君である定子のサロン全体が「教養なき集団」として宮廷中の笑いものになってしまいます。極限のプレッシャーの中、清少納言の機知が試される瞬間でした。