栃木県の県庁所在地はなぜ宇都宮?移転の歴史と真相を徹底解剖

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明治維新に伴う廃藩置県(1871年)直後、現在の栃木県域は「宇都宮県」と「栃木県」の2つに分かれていました。その後、明治6年(1873年)6月15日に両県が統合され、新「栃木県」が誕生します。この合併当初、県庁が置かれたのは日光街道の宿場町であり巴波川舟運で栄えていた栃木町(現在の栃木市)でした。

しかし、わずか11年後の明治17年(1884年)、県庁は突如として宇都宮へと移転されることになります。この決定的な引き金を引いたのが、1883年に山形県令・福島県令を経て栃木県令に着任した三島通庸(みしまみちつね)でした。

当時、栃木町周辺は豪商や知識層を中心とする「自由民権運動」の一大拠点となっており、政府の専制政治に対する反発が渦巻いていました。強権的な手法で各地の自由民権運動を弾圧してきた三島にとって、反抗的な民権派が密集する栃木町に行政拠点を置き続けることは、統治上の重大なリスクと映ったのです。三島は着任直後から宇都宮への県庁移転を画策し、太政官(現在の中央政府)へ熱心に具申を行いました。

さらに、移転計画と並行して加波山事件(1884年9月)が発生します。三島暗殺を企てた急進的民権派の動きが露見したことで、三島は治安維持と警察権力の強化を口実に移転を強行。同年10月、正式に宇都宮町(当時)の旧宇都宮城内へ県庁が移転されるに至りました。県庁所在地変更の根底には、官権による反体制派の封じ込めという苛烈な政治力学が働いていた記録が残されています。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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