たけし『浅草キッド』の真相|深見千三郎との愛憎と名曲誕生の実話
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コントの技術を磨いていたたけしに、大きな転機が訪れます。同じく浅草で活動していた兼子二郎(ビートきよし)からの熱烈な誘いを受け、1974年に漫才コンビ「ツービート」を結成したことです。しかし、この決断は師匠・深見千三郎への事実上の「反逆」を意味していました。
当時、浅草の軽演劇の世界において、漫才は「コントができない落ちこぼれがやるもの」として一段低く見られていました。浅草の舞台を捨て、テレビという新しいメディアでの成功を目指して漫才に転向したたけしに対し、深見は激怒し、一時的に絶縁状態となりました。
その後、ツービートは『THE MANZAI』などを通じて巻き起こった1980年代初頭の「漫才ブーム」の中心人物となり、毒舌と超高速テンポのネタで一躍時代の寵児へと登り詰めます。莫大な富と名声を手に入れたたけしは、ある夜、成功の報告と感謝を伝えるため、浅草のスナックで深見と久しぶりの再会を果たします。
その席でたけしは、師匠のプライドを傷つけないよう配慮しながら、数十万円の現金を「小遣い」として深見のポケットにそっとねじ込みました。深見は「バカ野郎、オレに金を渡すなんざ100年早えんだよ」と悪態をつきながらも、弟子の天下獲りを誰よりも喜び、周囲の客に「おい、あのたけしは俺の弟子なんだぞ」と自慢して回ったと伝えられています。
しかし、その幸福な和解の直後、あまりにも残酷な運命が訪れます。1983年2月2日、深見千三郎が暮らしていた浅草のアパートで火災が発生。泥酔状態で就寝していた深見は逃げ遅れ、焼死(享年60)という壮絶な最期を遂げました。タバコの不始末が原因とされています。
師匠の訃報を聞いたたけしは、テレビ局の楽屋で人目を憚らず号泣したといいます。渡した小遣いで買った酒に酔って命を落としたのではないかという、生涯消えることのない深い自責の念が、のちの名曲『浅草キッド』の切ないトーンへと昇華されていくことになりました。