なぜ埼玉の田園に聖天宮が?怪しい噂の真相と建立理由・見どころ徹底検証
なぜ埼玉の田園に聖天宮が?怪しい噂の真相と建立理由・見どころ徹底検証について詳しく解説いたします。専門家の見解をご覧ください。
東京から電車とバスを乗り継ぎ約1時間、関越自動車道からも遠くない埼玉県坂戸市塚越。のどかな畑が広がる関東平野の真ん中にそびえ立つのが、「五千頭の龍が昇る聖天宮(せいてんきゅう)」です。敷地面積約7,000坪、幅約50メートル、高さ約25メートルという威容は、台湾本国の著名な寺院と比較しても引けを取らない規模を誇ります。なぜ台湾ではなく、この埼玉の地に建てられたのでしょうか。
その発端は、開祖である台湾の事業家・康國典(こうこくてん)大法師の壮絶な個人的体験にあります。1970年代、40代半ばだった康氏は当時治療法が確立されていなかった膵臓の難病を患い、医師からも見放される死の淵をさまよっていました。その際、道教の最高神である「三清道祖(さんせいどうぞう)」へ一心不乱に祈りを捧げたところ、奇跡的に病が一分の狂いもなく全快したと伝えられています。
深い神謝の念を抱いた康氏は、「国境や人種、身分を問わず、誰もが三清道祖のご利益と平穏にあやかれる場所を造りたい」と決意。私財をなげうって大寺院を建立することを発願しました。建立地を台湾の神前で占った際、神託(神のお告げ)によって「日本国埼玉県坂戸市塚越」という極めて具体的な地名が示されたのです。
康氏が現地調査に赴いたところ、当時の坂戸市塚越は雑木林と原野が広がる未開拓の地でした。しかし、風水学の視点から丹念に地形を読み解くと、龍の気が集まり淀みなく湧き出る「生唾を飲み込むような縁起の良い地相(吉相の龍穴)」であることが判明したといいます。こうして1981年(昭和56年)に着工。台湾から一流の宮大工や彫刻師、伝統工芸士を招聘し、資材も現地から直輸入して15年後の1995年(平成7年)に開廟初示を迎えました。これが現在に続く聖天宮の歴史と経緯の根幹です。