不死身の分隊長・舩坂弘の伝説とは|アンガウル生還から大盛堂書店創業まで
不死身の分隊長・舩坂弘の伝説とは|アンガウル生還から大盛堂書店創業までにまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
1944年9月17日、米陸軍第81歩兵師団(通称ワイルドキャット)約2万人がアンガウル島へ上陸を開始。これに対し、後藤丑雄少佐率いる日本軍守備隊(第59連隊第1大隊)はわずか約1,400名でした。兵力差は実に10倍以上、圧倒的な火砲と航空優勢の前に日本軍は苛烈を極める防衛戦を強いられます。
舩坂は擲弾筒分隊長として洞窟陣地に拠り、米軍の進路へ正確無比な砲撃を浴びせて大損害を与え続けました。しかし米軍の猛烈な艦砲射撃と空爆により、左大腿部を裂傷して大量出血に見舞われます。軍医からは「自決用の手榴弾」を手渡されるほどの致命傷でしたが、舩坂は自決を拒否。這うようにして前線へ戻り、小銃を手にゲリラ戦を展開しました。
戦闘開始から数週間が経過し、守備隊が事実上壊滅状態に陥る中、舩坂は体に手榴弾6発を縛り付け、拳銃1丁を携えて米軍野戦司令部への単身斬り込みを決意します。夜陰に乗じて米軍の前哨線を突破し、司令部テントまでわずか数メートルの地点へ潜入。手榴弾の安全ピンを抜いて突撃態勢をとった瞬間、米兵に首を撃ち抜かれて卒倒しました。この常軌を逸した肉薄攻撃は、米軍将兵に底知れぬ恐怖と衝撃を与えたと記録されています。