東声会とは何だったのか?町井久之の軌跡と東亜会の現在を徹底検証

東声会とは何だったのか?町井久之の軌跡と東亜会の現在を徹底検証とはどのようなものなのか? 詳しい意味を丁寧に紐解いて紹介します。

東声会が全国的な知名度とともに警察当局の最大警戒対象となった背景には、昭和30年代から40年代にかけて繰り広げられた凄惨な縄張り争いがあります。

関西を地盤とする日本最大の指定暴力団「三代目山口組」が全国進出(いわゆる東京進出作戦)を企てた際、その急先鋒となったのが恐るべき武闘派集団・柳川組(組長・柳川次郎)でした。首都・東京の心臓部である銀座を守る東声会と、西から押し寄せる柳川組の激突は避けられない情勢となり、1963年(昭和38年)には両組織の一触即発の危機が首都全域を緊張させました。

この「東声会と柳川組の対立」を収拾させたのが、他ならぬ児玉誉士夫でした。児玉の強烈な政治的調停により、東声会と山口組は対等な立場で和解(手打ち)を結び、町井久之と田岡一雄・三代目山口組組長は盟友関係を築くことになります。しかし、この講和こそが警視庁および警察庁に「ヤクザの全国大同団結による巨大地下帝国誕生」の強い危機感を抱かせる決定打となりました。

相次ぐ街頭での衝突や発砲を伴う「銀座事件」の数々は、市民社会への直接的な脅威とみなされ、警察当局は1964年から暴力団壊滅を目指す「第一次頂上作戦」を発動。町井久之への包囲網は日増しに狭まり、1966年(昭和41年)、警察の強烈な解散圧力に屈する形で、東声会は結成から9年で正式な解散を余儀なくされたのです。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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