徳川三代将軍・家光の真相!「生まれながらの将軍」が断行した大変革

徳川三代将軍・家光の真相!「生まれながらの将軍」が断行した大変革に関する深掘り記事をまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。

絶対的な権力を誇った家光ですが、将軍への道のりは決して平坦ではありませんでした。幼少期の家光は病弱で口数が少なく、容姿にも優れていた2歳年下の弟・徳川忠長(幼名:国松)を、実母のお江(崇源院)や父・秀忠が溺愛していたためです。

幕府内には「次期将軍は忠長になるのではないか」という空気が漂い始め、激しい後継者争いが勃発しました。この危機を打開したのが、家光の乳母である春日局(斎藤福)です。春日局は単身で駿府にいた大御所・家康へ直訴し、長幼の序(兄が家督を継ぐべき道理)を守るよう訴え出ました。家康が江戸を訪れた際、明確に家光を後継者として立てたことで、跡目争いに終止符が打たれました。

将軍就任後、家光と忠長の関係は急速に悪化します。忠長は素行の乱れや暴政を理由に領地を没収され、高崎へ配流となった後、1633年に自刃を命じられました。実の弟であっても幕府の秩序を乱す存在は許さないという、冷徹なまでの権力集中策の一端が垣間見えます。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest