海軍巨大疑獄「シーメンス事件」の真相!内閣総辞職に追い込んだ闇
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汚職の矛先は、薩摩閥の重鎮であり「日本海軍の父」と称された総理大臣・山本権兵衛へと直結しました。折しも時代は大正デモクラシーの幕開け。閥族政治や軍部の専横に対する市民の不満は頂点に達していました。
1914年2月から3月にかけて、日比谷公園をはじめとする東京各地で大規模な民衆運動(大正政変に続く民衆決起)が発生。「海軍の不正を許すな」「山本内閣打倒」を叫ぶ数万人規模の群衆が議事堂や内閣官邸を取り囲み、警官隊と激しく衝突する暴動へと発展しました。
さらに貴族院が海軍拡張予算案を大幅に削減して否決したことで、政府は予算編成に行き詰まります。議会からも国民からも完全に信任を失った第一次山本内閣は、1914年3月24日に総辞職を表明。軍部を母体とする政権が、汚職と民衆の反発によって退陣へと追い込まれた瞬間でした。