徳川慶喜は何代目?最後の第15代将軍が1年で大政奉還を決めた理由
徳川慶喜は何代目?最後の第15代将軍が1年で大政奉還を決めた理由についての真相をご紹介します。
徳川慶喜は、最初から将軍の跡継ぎとして生まれたわけではありませんでした。実父は「烈公」と呼ばれた水戸藩第9代藩主・徳川斉昭であり、慶喜はその七男(幼名は七郎麻呂)として江戸・小石川の水戸藩邸で誕生しました。
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幼少期から聡明で知られた慶喜は、第12代将軍・徳川家慶の目に留まり、御三卿の一つである一橋徳川家へ養子に入ります。これが、後に将軍候補へ名乗りを上げる決定的な転機となりました。
第13代将軍・家定の後継者を巡る「将軍継嗣問題」では、慶喜を推す「一橋派」と、紀州藩主の徳川慶福(後の14代家茂)を推す「南紀派」が激しく対立。この時は大老・井伊直弼の采配により慶喜は敗れ、安政の大獄で謹慎処分を受けます。
しかし、政局の混乱が続くなかで復権を果たし、将軍後見職として幕政の最前線へ復帰。1866年、第14代将軍・徳川家茂が21歳の若さで大坂城にて病没したことを受け、周囲から強く推挙される形で第15代将軍の座に就きました。本人は幕府の瓦解を予見して就任を何度も固辞したものの、内外の危機に抗えず、重責を引き受けることとなったのです。