革マル派と中核派の違いとは?血塗られた分裂の真相と2026年の勢力図
革マル派と中核派の違いとは?血塗られた分裂の真相と2026年の勢力図の真相について、専門知識を基に徹底解説します。
詳細を見る
分裂当初は論戦にとどまっていた両派ですが、1970年代に入ると「敵対セクトの解体・せん滅」を掲げた狂気の内ゲバ(内部暴力抗争)へと雪崩れ込みました。死者・重傷者は双方合わせて数百人に達し、日本の治安史上類を見ない惨劇となります。
抗争が決定的な殺し合いへと変貌した転換点が、1975年3月14日に発生した中核派最高指導者・本多延嘉書記長の殺害事件です。埼玉県川口市のアパートに潜伏していた本多氏を革マル派の襲撃部隊が急襲し、頭部を滅多打ちにして殺害しました。党の最高指導者を奪われた中核派は「復讐戦」を宣言。全国各地で革マル派の活動家やシンパを標的とした暗殺作戦を展開しました。
鉄パイプやバール、千枚通しを用いた凄惨な襲撃は白昼の路上や大学構内、被害者の自宅前でも平然と行われました。互いにスパイを送り込み、住所や行動パターンを特定しては闇討ちを仕掛ける報復の連鎖は、一般社会から新左翼全体が決定的に見放される直接的な要因となりました。