青色ダイオード裁判の真相|200億円判決から8億和解の内幕と現在
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青色LED裁判の発端は、1980年代末から1990年代初頭にかけて徳島県阿南市の中小企業だった日亜化学工業で成し遂げられた技術革新に遡ります。当時、赤色と緑色が存在していたLEDの世界において、光の三原色の最後のピースである「青色」の実用化は極めて困難とされていました。
日亜化学工業の研究開発部門に所属していた中村修二氏は、多くの研究機関が挫折していた窒化ガリウム(GaN)に着目。独自に改造した結晶成長装置を用いて高品質な薄膜結晶の作製に成功し、1993年に世界初となる高輝度青色LEDの量産化発表へと繋げました。この技術は世界中のディスプレイ、照明、光ディスク規格などを一変させる歴史的発明となります。
しかし、技術の大成功と裏腹に、中村氏に支払われた社内表彰に伴う報奨金は「わずか2万円程度」だったと報じられ、待遇をめぐる不満がくすぶり続けました。その後、中村氏は1999年に同社を退職し、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の教授へ転身。これに対し日亜化学工業側が企業秘密漏洩などを理由に米国で提訴したことを受け、中村氏側も2001年8月、自らが発明した基幹特許の帰属確認および職務発明の対価を求めて東京地裁へ逆提訴を起こしました。