波乱万丈のダルマ宰相!高橋是清は何をした?恐慌脱却と暗殺の真相
波乱万丈のダルマ宰相!高橋是清は何をした?恐慌脱却と暗殺の真相とは一体何なのか? 詳しい意味を整理してお届けします。
恐慌からの見事な復活を遂げた是清でしたが、その最期はあまりにも悲劇的でした。1936年(昭和11年)2月26日未明、陸軍の青年将校らが引き起こしたクーデター「二・二六事件」のターゲットとなり、東京・赤坂の私邸で無残に命を奪われたのです。
是清が暗殺された理由の根底にあったのは、「軍事予算の削減を巡る軍部との熾烈な対立」でした。是清は景気が回復傾向に入ったことを見極め、これ以上の国債増発と放漫財政は悪性インフレーションを招くと警告。景気刺激策にブレーキを踏み、膨張し続ける陸軍の軍事予算を断固として削減しようとしました。
対外侵略と国家改造を目論む陸軍強硬派にとって、81歳にして鋭い弁舌で予算要求を撥ねつけ続ける老蔵相は、計画を阻む最大の障壁でした。「是清さえ排除すれば軍事費を青天井に使える」という短絡的な狂信が、凶行を引き起こしたのです。
襲撃当日、寝室に踏み込んできた青年将校らに対し、是清は布団を跳ね除けて「この馬鹿者どもが!」と一喝したと伝えられています。しかし銃弾を浴びせられ、軍刀で刺されて絶命。国家の破綻を防ぐ「最後の防波堤」が失われたことで、日本は財政規律を完全に喪失し、破滅的な太平洋戦争への道を突き進むことになりました。