名門池田家の歴史と家系図の真相!姫路城から末裔の現在まで
名門池田家の歴史と家系図の真相!姫路城から末裔の現在までを徹底追究! 知っておきたい 情報と解説を分かりやすく展開します。
池田家を戦国大名から近世屈指の超巨大勢力へと押し上げたのが、恒興の跡を継いだ池田輝政です。秀吉の下で東三河15万2000石を治めていた輝政は、豊臣政権下でも高い評価を受けましたが、秀吉没後は徳川家康に接近。家康の次女・督姫(とくひめ)を正室(継室)に迎えたことで、徳川一門に準ずる特別な血縁関係を築き上げました。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、輝政は東軍の先鋒として岐阜城攻略などで決定的な武功を立てます。この功績により、播磨一国52万石を与えられた輝政は「播磨姫路藩主」となり、現在も国宝および世界文化遺産として世界中から称賛を浴びる姫路城(白鷺城)の壮大な大天守・城郭群を8年の歳月をかけて築城しました。
さらに弟の長良や息子の忠継・忠雄ら一族の所領を合わせると、池田家全体で西国に合計約100万石もの領地を占めるに至ります。徳川幕府にとって西国大名を監視・統制する防波堤の役割を担った輝政は、世に「西国将軍」または「姫路宰相」と恐れ敬われ、池田家の権勢は頂点を極めました。