深見千三郎の壮絶な生涯|ビートたけしが愛した浅草の師匠と最期の真相
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深見千三郎(本名・久保七十二=くぼ なつじ)は、1923年(大正12年)3月31日、北海道松前郡に生まれました。上京後に劇団や興行の世界へ飛び込み、戦後復興期の浅草でストリップ劇場「浅草フランス座」の看板芸人兼座長として君臨することになります。
当時の浅草フランス座は、ストリップショーの幕間に本格的なコントや軽演劇を上演する独自のスタイルで人気を博していました。深見はその脚本・演出・主演を一手に引き受け、フランス流の洒落たエスプリと下町の泥臭い笑いを融合させたハイレベルなコントを連日連夜上演。舞台上で見せる間(ま)の取り方、的確なツッコミ、そして洒脱な身のこなしは、同業者からも「浅草で一番面白い男」と絶賛されました。
若き日の事故で左手の指を失うという身体的ハンデを抱えていながらも、深見はそれを一切言い訳にせず、むしろそれを隠すように洗練された身なりとステッキ捌きを披露しました。劇場という限られた空間の中で、己の肉体と話術だけで観客を圧倒する本物の芸を磨き上げていったのです。