人形町玉ひでの現在と再開情報|建て替えの真相と発祥親子丼の行方
人形町玉ひでの現在と再開情報|建て替えの真相と発祥親子丼の行方の総合ガイドを解説します。役立つ情報が詰まっています。
玉ひで 親子丼 発祥の店としての物語は、明治24年(1891年)に遡ります。五代目当主・山田秀吉の妻であった「とく」が考案したのが始まりでした。
当時、人形町玉ひでの看板料理であった軍鶏鍋を食べ終えた客が、鍋に残った旨味たっぷりの割り下に卵を流し込み、ご飯にかけて食べる風習がありました。それを見た五代目夫婦が「軍鶏肉を割り下で煮て卵でとじ、飯の上にのせる一杯」を考案。軍鶏の身が硬くならない火入れの技術と、みりんや醤油の絶妙な配合が結実し、日本初の親子丼が誕生したのです。
現在暖簾を守る玉ひで 八代目 山田耕之亮氏は、テレビ東京やNHKなどのドキュメンタリー番組でも率直な葛藤を吐露してきました。「老舗とは、昨日と同じことを繰り返すことではない。伝統の味を現代のお客様に最高と感じていただくために、見えないところで配合も製法も変え続けている」という発言は、まさに同店の矜持を象徴しています。
東京軍鶏の筋肉質な歯応えと野趣溢れる滋味、そしてそれを包み込む濃厚な卵の半熟加減。甘さで誤魔化さない江戸前の割り下こそが、日本橋人形町の老舗グルメの頂点として語り継がれる理由です。