革マル派と中核派の決定的な違い 分裂の歴史と思想の対立を解剖
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組織の分裂を決定づけたのは、それぞれのカリスマ的指導者が持つ思想の相違である。革マル派を率いた黒田寛一は、視覚障害を抱えながらも膨大な著書を著した理論家であった。彼は自らの思想体系である「黒田理論」に基づき、党の組織的防衛と主体性の確立を重視。無理な武装闘争による党の疲弊を避け、徹底した「組織温存」と理論的純粋性を追求した。
一方、中核派の最高幹部であった本多延嘉は、より実戦的かつ行動主義的な指導者であった。本多は暴力革命の不可避性を説き、国家権力に対する大規模な街頭闘争や武装蜂起を主張。現場での「暴力の行使」こそが労働者階級の覚醒を促すと信じた。1975年、本多は革マル派の秘密打倒部隊によって自宅アパートで暗殺される。指導者の血で洗われた怨念は、両派の対立を不可逆の領域へと押しやった。