欧州便はなぜアンカレッジ経由だったのか?名物うどんと冷戦の真実

欧州便はなぜアンカレッジ経由だったのか?名物うどんと冷戦の真実の疑問点について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

日本とヨーロッパを結ぶ最短ルートは、ユーラシア大陸の上空を真っ直ぐ北西に横断するコースです。しかし、昭和中期から後期の昔の飛行機ヨーロッパ線は、日本を北東に向けて飛び断ち、はるかアラスカを目指す迂回ルートを強いられていました。その最大の要因は、当時の国際政治情勢にあります。

第二次世界大戦後、世界は西側諸国と東側諸国が対立する冷戦構造に突入しました。広大な国土を持つソビエト連邦は自国の安全保障を理由に、ソ連領空の民間機通過を厳しく制限・拒否。西側の航空会社がシベリア上空を自由に通過することは不可能だったのです。さらに、中東や南アジアを経由する南回り欧州線は、距離が長すぎる上に寄港地が多く、莫大な時間がかかっていました。

もう一つの決定的な要因が、当時のジェット旅客機の性能限界です。1960年代に導入されたボーイング707やダグラスDC-8、その後に登場したジャンボジェットことボーイング747の初期型は、東京からヨーロッパまでノンストップで飛行できるだけの航続距離を備えていませんでした。ソ連領空を避けつつ北極圏を通過する「ポーラールート(北回り欧州線)」を成立させるためには、どうしても途中でアンカレッジ空港での給油が必要不可欠だったのです。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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