ヤクザ全盛期はいつ?構成員18万人の黄金期と壊滅に至った衰退の真相
ヤクザ全盛期はいつ?構成員18万人の黄金期と壊滅に至った衰退の真相について詳しく解説いたします。専門家の見解をご確認ください。
「ヤクザの全盛期はいつか」という問いに対して、組織人員の規模という客観的データから導き出される答えは昭和38年(1963年)です。戦後の焼け跡から立ち上がった日本社会の歪みとともに、全国に約5,200団体・18万4,100人もの構成員が存在していました。
戦前のヤクザは主に賭博を専業とする「博徒(ばくと)」や、露店を仕切る「的屋(てきや)」が主流でした。しかし敗戦直後の混乱期、闇市を拠点に暴れ回った「愚連隊(ぐれんたい)」がこれらを吸収・再編。港湾荷役の差配や芸能興行の仕切り、復興建設事業への介入などを通じて莫大な収益と人員を抱え込み、急速に組織を近代化させていきました。
この昭和30年代の黄金期、組員たちは公然と看板を掲げ、警察や地域社会との関係も曖昧なまま共存していました。しかし、街中での凄惨な銃撃戦や抗争が頻発したことで世論が沸騰。昭和39年(1964年)から警察庁が主導した「第一次頂上作戦」をはじめとする大規模な取締りへと舵が切られることになります。