台湾の英雄・八田與一とは何者か?烏山頭ダムの奇跡と知られざる生涯
台湾の英雄・八田與一とは何者か?烏山頭ダムの奇跡と知られざる生涯について見逃せない 事実を厳選して解説いたします。
台湾南西部に位置する嘉南平野は、約15万ヘクタール(四国本土の約8割に相当)に及ぶ広大な面積を持ちながら、雨季の洪水と乾季の旱魃(かんばつ)に苛まれ、塩分を含んだ土壌のため作物もまともに育たない「看天田(天候頼みの田畑)」でした。八田はこの地に水を安定供給するため、官子嶺の山中に巨大な貯水池を造り、網の目のような水路を平野全体に張り巡らせるという壮大な構想を打ち立てます。
1920年(大正9年)に着工された烏山頭ダム(うさんとうダム)の建設は、困難を極めました。八田は当時アメリカで開発されたばかりの最新工法「セミ・ハイドロリック・フィル工法(半水力盛土工法)」をアジアで初めて採用。コンクリートを最小限に抑え、粘土・砂利・玉石を水流の水力で選別・沈積させて締め固めるこの工法により、地震に強く柔軟性のある堰堤を構築しました。さらに、10年の歳月と総工費約5,400万円(当時の台湾総督府の年間予算の3割を超える規模)を投じ、1930年(昭和5年)に烏山頭ダムと嘉南大圳が完成しました。
嘉南平野の農民たちを救ったのは、単にダムを造ったことだけではありません。水量が限られる中でも全ての農民が等しく恩恵を受けられるよう、八田は土地を3つの区画に分け、1年ごとに稲作、サトウキビ、雑穀を輪番で栽培させて給水する「三年輪作給水法」を導入しました。この公正無私な制度設計によって、約60万人の農民が貧困から脱出し、嘉南平野は豊かな大地へと生まれ変わったのです。