なぜ米ゼロで大名に?松前藩の歴史とアイヌ交易・幕末の激動を徹底解説

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文政4年(1821年)、ロシアの脅威が一時的に後退したことで松前氏は旧領復帰を果たしました。安政元年(1854年)の日米和親条約締結後に箱館が開港されると、幕府は再び蝦夷地を直轄化(第二次幕領期)し、松前藩の領地は再び削られることになります。

幕末の激動期、松前藩内では幕府寄り佐幕派の重臣たちと、尊王攘夷派の若手武士集団「正義隊」が激しく対立。慶応4年(1868年)、正義隊がクーデターを断行して藩政を掌握し、新政府側(官軍)への恭順を明確に打ち出しました。

しかし、直後に最大の危機が訪れます。旧幕府脱走艦隊を率いて蝦夷地に上陸した榎本武揚や土方歳三らの旧幕府軍が、箱館五稜郭を占領したのち松前城へ侵攻。土方歳三率いる精鋭部隊の巧みな奇襲攻撃の前に、堅固を誇った松前城はわずか数日で落城しました。

松前藩主・松前徳広一行は津軽へと命からがら脱出。その後、新政府軍の反撃とともに蝦夷地へ再上陸して旧領を奪還し、箱館戦争の終結を見届けました。明治2年(1869年)、版籍奉還に伴い藩名を「館藩(たてはん)」と改称し、現在の厚沢部町に館城を築城しましたが、明治4年(1871年)の廃藩置県によって松前藩としての歴史は完全に幕を閉じました。

清水 千尋

清水 千尋

フード&トラベルライター

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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