運動会のソーラン節はなぜ定番に?金八先生の真相と魂揺さぶる理由

運動会のソーラン節はなぜ定番に?金八先生の真相と魂揺さぶる理由についての疑問解決ガイドをお届けします。

運動会で踊られるアグレッシブなソーラン節は、正調の民謡とは大きく異なります。その直接のルーツは、北海道稚内市立稚内南中学校、通称「南中(なんちゅう)」で1990年代初頭に生まれた「南中ソーラン」にあります。

当時の稚内南中学校は、校内暴力や非行、いじめといった深刻な学校荒廃の渦中にありました。窓ガラスが割れ、授業が成り立たない極限状態の中で、教員たちと生徒が「何かひとつでも全員で本気になれるものを作りたい」と模索した結果たどり着いたのが郷土芸能の再興でした。

そこで出会ったのが、民謡歌手の伊藤多喜雄(TAKIO BAND)が1988年に発表した『TAKiO's SOHRAN BUSHI(TAKIOソーラン)』です。エレキギターとシンセサイザー、力強いドラムビートで再構築されたロック調の楽曲に、日本舞踊家の春日壽昇氏が現代的な息吹を吹き込んだダイナミックな振付が施されました。

生徒たちは当初、照れや反発を見せていたものの、泥臭く汗を流して踊る中で次第に結束を固めていきました。1993年、稚内南中学校の生徒たちは「第10回日本郷土民謡民舞全国大会」で並み居る大人たちを抑えて民舞部門の内閣総理大臣賞を受賞。荒廃から立ち直り、誇りを取り戻したこの実話は、ドキュメンタリーや映画『稚内発・学び座 先生と子どもたちのソーラン節』などを通じて教育関係者の間で語り継がれることとなりました。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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