公文所とは?鎌倉幕府で政所に改称された理由と役割の真相を徹底解説
公文所とは?鎌倉幕府で政所に改称された理由と役割の真相を徹底解説の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
公文所の初代長官である「別当(べっとう)」に就任したのが、京都の下級貴族出身であった大江広元(中原広元)です。広元は朝廷の明法道(法律学)や文書作成に精通した超一流の実務派エリートであり、頼朝の招聘に応じて鎌倉へ下向しました。
大江広元率いる公文所は、単なる事務処理班にとどまりませんでした。広元は頼朝の最高政治顧問(ブレーン)として、全国に守護・地頭を設置する構想を建言するなど、幕府の統治機構の骨格を作り上げました。公文所には副長官にあたる「令(れい)」や書記官にあたる「案主(あんじゅ)」「知家事(ちけいじ)」などの実務官僚が配置され、頼朝の意向を正確な公文書として発給する強固な官僚機構が機能し始めたのです。