高橋是清の最期と二・二六事件|ダルマ宰相が残した最後の言葉と真相
高橋是清の最期と二・二六事件|ダルマ宰相が残した最後の言葉と真相の全貌を詳しく解説してご紹介します。
是清はなぜ、国家革新を掲げる青年将校たちから「国賊」として狙われなければならなかったのでしょうか。その最大の暗殺理由は、彼が命懸けで進めようとした軍事費削減をめぐる対立にあります。
「日本のケインズ」と称された是清は、1931年に蔵相へ就任すると、大胆な金輸出再禁止や積極的な財政出動、日銀の国債直接引き受けを行い、世界に先駆けて日本を昭和恐慌から脱出させました。この高橋是清の政策と功績は、近代経済史上でも奇跡的な手腕として高く評価されています。
しかし、景気が回復軌道に乗ると、是清はハイパーインフレの危機を予見し、これ以上の国債増発を抑えるべく財政の引き締めへと舵を切ります。特に満州事変以降、果てしなく膨張を続ける陸海軍の予算要求に対し、「これ以上の軍事費増額は国家財政を破綻させる」と真っ向から拒否。徹底的な予算削減を断行しました。
軍拡こそが国防の強化だと信じ込む陸軍強硬派や青年将校たちにとって、軍事予算の壁となって立ちはだかる是清は、打倒すべき最大の障害と見なされたのです。