なぜ後醍醐天皇は吉野へ逃れたのか?南朝誕生の真相と悲劇の歴史を解く
なぜ後醍醐天皇は吉野へ逃れたのか?南朝誕生の真相と悲劇の歴史を解くについて知っておくべき 注意点を厳選して解説いたします。
後醍醐天皇の死後、室町幕府と京都の街は深刻な恐怖に包まれました。激しい怨念を抱いて世を去った天皇が、強大な怨霊となって祟りをもたらすのではないかと恐れられたのです。
事実、後醍醐天皇の崩御直後から尊氏の弟である足利直義との不和が激化し、幕府重臣の急死や相次ぐ天変地異、疫病の流行など不穏な出来事が京都を襲いました。かつて天皇に叛旗を翻した尊氏自身、後醍醐天皇に対する個人的な敬意と罪悪感を終生拭い去ることができず、その霊を鎮めるためにあらゆる手を尽くしました。
その代表例が、禅僧・夢窓疎石の勧めで京都・嵐山に建立された大寺院・天龍寺です。尊氏は天龍寺造営の莫大な費用を捻出するため、元(当時の中国)へ「天龍寺船」と呼ばれる貿易船を派遣してまで寺院を完成させ、後醍醐天皇の菩提を丁重に弔いました。また、全国に「安国寺」と「利生塔」を建立し、戦乱の戦死者とともに天皇の怨霊鎮魂に努めた事実は、後醍醐天皇の存在がいかに当時の人々を畏怖させていたかを物語っています。