アンガウルの不死身兵・舩坂弘軍曹の真実!奇跡の生還と戦後の軌跡
アンガウルの不死身兵・舩坂弘軍曹の真実!奇跡の生還と戦後の軌跡の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。
舩坂弘が「不死身」と呼ばれる最大の所以は、医学的な常識を遥かに超えた戦傷の数々にあります。戦闘初日から猛烈な艦砲射撃と爆撃に晒された舩坂は、わずか数日間のうちに左大腿部に裂傷を負い、歩行困難な状態に陥りました。
しかし、舩坂は戦線離脱を拒否。傷口に日章旗を包帯代わりに強く巻き付け、這うようにして前線へ戻り、擲弾筒を撃ち続けました。軍医からは自決用の青酸加里を手渡されるほどの重態と診断されながらも、「まだ戦える」と薬を握りつぶして拒絶したという逸話が残されています。
舩坂がアンガウル島で負った主な戦傷は、記録されているだけでも凄まじい規模に達します。
- 左大腿部の重度裂傷:砲弾の破片により肉が削ぎ落とされる重傷
- 腹部の盲貫銃創:銃弾が腹部を貫通せず体内に留まり、激しい内出血を誘発
- 頸部・頭部の貫通銃創:米軍司令部突入時に首の左側を撃ち抜かれる
- 全身の火傷・破片創:手榴弾や迫撃砲による20箇所以上の傷跡
当時の戦場は高温多湿で衛生状態も最悪であり、傷口には無数のウジが湧くような過酷な環境でした。傷の痛みに耐えかねた舩坂は、這い回るウジをピンセット代わりに手でつまみ出しながら、敵の動向を監視し続けたと手記に記しています。