京都・今宮神社が「玉の輿」と呼ばれる理由と見どころ徹底解剖
京都・今宮神社が「玉の輿」と呼ばれる理由と見どころ徹底解剖に関する専門家の意見を丁寧に解説いたします。
今宮神社が「玉の輿神社」と称される背景には、江戸時代の劇的な歴史絵巻が存在します。その中心人物が、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の側室であり、第5代将軍・徳川綱吉の生母となった桂昌院(けいしょういん・幼名「お玉」)です。
京都・西陣の八百屋の家に生まれたとされるお玉は、養父の縁から江戸城大奥へ奉公に上がると、家光の目に留まり側室へと抜擢されました。正保3年(1646年)に男子(後の綱吉)を出産し、やがて綱吉が将軍職に就くと、従一位という女性として最高位の官位を授かるまでに登り詰めます。この「八百屋の娘から国母へ」という空前絶後の大出世こそが、「玉の輿に乗る」という言葉の語源になったと広く語り継がれています。
桂昌院は権勢を誇った後も故郷・京都への崇敬を忘れず、応仁の乱以降荒廃していた今宮神社の社殿再建に私財を投じ、元禄7年(1694年)に大規模な復興を果たしました。さらに西陣織の保護・発展にも尽力したことから、今宮神社は彼女の強運と郷土愛を象徴する聖地となったのです。
授与所でひときわ高い人気を誇るのが、西陣織の生地で仕立てられた「玉の輿守(たまのこしおもり)」です。色鮮やかな織地には、お玉さんの生家にちなんで「茄子」「蕪」「人参」などの野菜の刺繍があしらわれており、単なる金銭的富だけでなく「実りある良縁」「健康」「家庭円満」を包括するお守りとして、老若男女を問わず選ばれています。