蘇我蝦夷と入鹿はなぜ滅ぼされたか?乙巳の変の真相と滅亡の決定打

蘇我蝦夷と入鹿はなぜ滅ぼされたか?乙巳の変の真相と滅亡の決定打についての疑問解決ガイドをお届けします。

Q1:蘇我入鹿はなぜ天皇を無視して専横を極めたと言われるのですか?
A1:入鹿自身が天皇家と幾重にも重なる血縁関係を持っていたため、天皇家を「別の存在」ではなく「自らの一族と同等」とみなす驕りが生じたためと考えられます。また、緊迫する東アジア情勢に対応するため、合議制を排して急速な中央集権化を推し進めようとした焦りも独裁的な振る舞いとして記録されました。

Q2:「大化の改新」と「乙巳の変」は何が違うのですか?
A2:「乙巳の変(645年)」は中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を滅亡させたクーデター事件そのものを指します。一方、「大化の改新」はその後に中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌足らが進めた、年号の制定、難波遷都、改新の詔(公地公民制・律令制導入)などを含む一連の政治改革全体を指します。

Q3:蘇我氏の本家が滅亡した後、蘇我一族は完全に消滅したのですか?
A3:完全に消滅したわけではありません。滅びたのは蝦夷・入鹿の「本宗家」のみです。クーデターで中大兄側に協力した蘇我倉山田麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)などの分家筋は新政権で右大臣などの要職に就き、その後も血脈は存続しました。持統天皇の母(遠智娘)も蘇我氏の出身であり、天皇家の中に蘇我の血は受け継がれ続けました。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest