清への朝鮮王土下座の真相!三田渡の屈辱と三跪九叩頭の礼を徹底解剖

清への朝鮮王土下座の真相!三田渡の屈辱と三跪九叩頭の礼を徹底解剖の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。

三田渡での儀式を終えた仁祖を待っていたのは、国家主権を骨抜きにする極めて過酷な「三田渡の盟約(降伏条約)」でした。その内容は、朝鮮が完全に清の従属国となることを法的に規定するものでした。

条約の主な骨子は以下の通りです。

  • 明との関係断絶:明から授かった勅印を破棄し、明の年号(崇禎など)の使用を禁止して清の年号を用いること。
  • 王子の人質供出:仁祖の長男である昭顕世子(ソヒョンセジャ)と次男の鳳林大君(ポンニムデグン・後の第17代国王孝宗)、および反清派大臣の子弟を人質として清の首都・瀋陽へ送ること。
  • 過酷な貢納の義務:毎年、黄金、白銀、大量の米・布、数十頭の馬、そして数千人に及ぶ美女や奴婢(貢女)を清へ上納すること。
  • 軍事支援の義務:清が明などを征服する際、朝鮮は要求に応じて軍船や兵力を派兵すること。
  • 築城の禁止:清の許可なく新たな城郭を修繕・建築しないこと。

さらにホンタイジは、自らの武功と朝鮮王の服従を永遠に記録させるため、降伏の地に巨大な石碑を建立することを命じました。これが現在も残る「大清皇帝功徳碑(通称:三田渡の碑)」です。高さ約5.7メートルに及ぶこの石碑には、満洲文字・モンゴル文字・漢文の3つの言語で「清の皇帝がいかに寛大に朝鮮王の罪を許し、慈悲を与えたか」という征服者の論理が刻み込まれました。

朝鮮はこの後、漢城(ソウル)の西側に「迎恩門(ヨンウンモン)」と「慕華館(モファカン)」を維持し続け、清からやってくる勅使を国王自ら出迎えて平伏する関係を、日清戦争(1894〜1895年)で下関条約が結ばれるまで約250年間にわたり継続することになります。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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