『南国土佐を後にして』歌詞全文の意味と誕生秘話|戦火が生んだ名曲の真相
『南国土佐を後にして』歌詞全文の意味と誕生秘話|戦火が生んだ名曲の真相の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。
終戦後、復員した兵士たちの記憶の中に眠っていたこのメロディを世に甦らせたのが、高知を拠点に活動していた音楽家・武政英策(たけまさ えいさく)氏でした。
武政氏は、復員兵が口ずさんでいた原曲の旋律に強い感銘を受け、戦死した戦友たちへの鎮魂と平和への祈りを込め、歌詞の「中支」を「都」へと改編。さらに自らが発掘・編曲に関わっていた『よさこい節』を巧みに組み込み、現代的な歌謡曲として再構築しました。
この楽曲を全国区へと押し上げたのが、当時ジャズシンガーとして頭角を現していたペギー葉山さんとの出会いです。昭和33年(1958年)、NHK高知放送局の開局記念番組に出演したペギーさんに、武政氏が「土佐の歌を歌ってほしい」と楽曲を提供しました。
当初、東京生まれのジャズ歌手だったペギーさんは、土佐弁のイントネーションや民謡独特の節回しに苦心したと述懐しています。しかし、曲の背景にある兵士たちの思いを理解したペギーさんは、情感豊かに歌い上げました。高知ローカルの放送直後から電話帳がパンクするほどのリクエストが殺到し、翌1959年にキングレコードからシングル発売されると、約200万枚を売り上げる空前のミリオンセラーを記録します。
その年の瀬には『第10回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、紅組の重要ポジションで熱唱。戦後の復興期を駆け抜ける日本全国の人々の心に、深い感動を刻み込みました。