『13人の刺客』は実話か?暴君・松平斉韶の真相と史実の決定的な違い

『13人の刺客』は実話か?暴君・松平斉韶の真相と史実の決定的な違いについて見逃せない 理由を分かりやすく解説いたします。

映画のクライマックスと歴史の結末を比較すると、脚本家が施した見事な演出意図がより鮮明に浮かび上がります。

映画では、50余名の明石藩兵と13人の刺客が死闘を繰り広げ、宿場町は血の海と化します。新左衛門は壮絶な一騎打ちの末に斉韶の首を刎ねて本懐を遂げ、刺客側の生き残りはわずか数名(1963年版では新六郎のみ、2010年版では新六郎と山の民・木賀小弥太)という哀切に満ちた幕切れを迎えました。

一方、史実における「将軍の子・松平斉宣」の最期はまったく異なるものでした。弘化元年(1844年)、斉宣は参勤交代の帰途、播磨国(兵庫県)の宿場町においてわずか20歳で急死しています。公式記録上の死因は「急性熱病(風邪や腸疾患のこじれ)」とされていますが、あまりに突然の若すぎる死であったため、当時から以下のような不穏な噂が飛び交いました。

  • 尾張藩の武士が先年の恨みを晴らすために道中で毒殺した
  • 横暴な振る舞いに耐えかねた何者かによって暗殺された
  • 領民の怨嗟の声が呪いとなって命を奪った

池上金男はこの「藩主の謎めいた急死と毒殺・暗殺の風聞」に着目し、「表向きは病死と処理されたが、実は裏で名もなき侍たちによる命がけの暗殺計画が決行されていたのではないか」という大胆な歴史のif(仮説)を構築したのです。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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