1940年幻の東京五輪はなぜ消えた?返上の真相と嘉納治五郎の執念

1940年幻の東京五輪はなぜ消えた?返上の真相と嘉納治五郎の執念について押さえておきたい ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。

東京の返上劇は、日本国内にとどまらず世界中に甚大な連鎖反応を引き起こしました。実は同じ1940年、冬季大会として「1940年札幌冬季オリンピック」の開催も決定していましたが、東京の返上に連動する形で札幌大会も白紙撤回されました。

東京に代わる代替開催地として名乗りを上げたのが、招致レースで次点だったフィンランドのヘルシンキでした。ヘルシンキは短期間でスタジアムの建設を急ピッチで進め、大会開催への希望を繋ぎます。冬季大会もスイスのサンモリッツやドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンへ開催地が変更されました。

しかし、悲劇は終わりませんでした。1939年9月、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発します。さらにソビエト連邦がフィンランドへ侵攻(冬戦争)したことで、ヘルシンキでの代替開催も完全に不可能となり、1940年の夏季・冬季オリンピックは地球上から完全に消滅することとなったのです。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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