アスファルトに咲く都市の記憶:東京の花壇が辿った歴史と四季の名所

アスファルトに咲く都市の記憶:東京の花壇が辿った歴史と四季の名所の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。

東京の花壇を語る上で、江戸時代の独自の園芸文化を外すことはできません。当時、世界最大級の人口を抱えていた江戸の街では、大名屋敷の庭園文化だけでなく、植木鉢を使った庶民の園芸が爆発的に普及しました。アサガオやキク、ツツジの品種改良が盛んに行われ、世界屈指の花好き都市として知られていました。

明治維新を迎えると、都市の景観は劇的に変化します。文明開化の波に乗って導入されたのが、ジオメトリック(対称的)なパターンを描く西洋式の整形成形花壇でした。1903年(明治36年)、林学博士の本多静六らによって設計された日比谷公園が開園。公園の中央に配置された「第一花壇」は、当時の人々に強烈な文明開化の衝撃を与えました。

日比谷公園の西洋式大花壇

太平洋戦争の空襲や戦後の高度経済成長期を経て、東京の緑は一時激減しました。しかし、1970年代以降の公害問題や近年の地球温暖化対策に伴い、花壇は単なる「鑑賞物」から「都市の生命維持装置」へとその存在価値を再定義されることになります。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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