神様仏様稲尾様と呼ばれた男|シーズン42勝と鉄腕の真実を徹底解剖
神様仏様稲尾様と呼ばれた男|シーズン42勝と鉄腕の真実を徹底解剖にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
華々しい栄光の裏で、過度な連投は稲尾の右腕を確実に蝕んでいきました。1962年頃から右肩痛に悩まされるようになり、1964年には肩の故障が悪化。球威の衰えを経験しながらも、変化球中心の投球スタイルへモデルチェンジを図り勝利を積み重ねましたが、1969年、32歳の若さで惜しまれつつ現役引退を決断しました。
引退直後に稲尾を待ち受けていたのは、さらなる試練でした。1969年秋から発覚したプロ野球界最大の八百長スキャンダル「黒い霧事件」です。西鉄ライオンズの主力選手が次々と永久追放などの処分を受け、チームは存亡の危機に立たされました。その火中の栗を拾う形で、わずか32歳にして西鉄ライオンズの監督へ就任したのが稲尾でした。
戦力が著しく低下し、世間からの激しい逆風が吹き荒れる中、稲尾は逃げることなくチームの指揮を執り続けました。勝敗を超えて「プロ野球選手としての誇りと倫理観」を若手に説き、崩壊寸前の球団を必死に支え抜いた監督時代の苦闘は、指導者・人間としての懐の深さを示すエピソードとして今も語り継がれています。その後、1984年から1986年にはロッテオリオンズの監督を務め、落合博満の三冠王獲得を温かく見守るなど、選手個々の才能を開花させる名将としても足跡を残しました。