大森南朋の父親・麿赤兒の読み方は?舞踏家一家の壮絶な経歴に迫る

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一度聞いたら決して忘れられない「麿赤兒」という芸名には、1960年代のアングラ演劇ブームを駆け抜けた熱狂的な歴史が刻まれています。名付け親となったのは、アングラ演劇の旗手として一時代を築いた劇団「状況劇場」の主宰・唐十郎さんです。

当時、早稲田大学文学部仏文科を中退後、役者の道を志して唐十郎さんのもとに身を寄せていた大森宏さん。唐さんは、彼の日本人離れした彫りの深い顔立ちとどこか貴族的な風貌を見て「麿(まろ)」と呼び、そこに「赤ん坊のように無垢で、赤心(偽りのない純粋な心)を持ったアナーキーな表現者たれ」という願いを込めて「赤兒(あかじ)」の文字を授けました。当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「名前負けしない怪物になってやろうと思った」という生の告白通り、この名は日本の前衛芸術史に深く刻まれることになります。

その後、麿赤兒さんは暗黒舞踏の創始者・土方巽氏に師事し、肉体の極限を表現する前衛舞踏の世界へ身を投じます。そして1972年に舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げ。「天賦典式(てんぷてんしき=この世に生まれたことこそ大いなる才能)」を旗印に掲げ、全身を白塗りにした独自の肉体表現は、パリやニューヨークをはじめとする海外公演でも熱狂的な賛辞を浴びました。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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