邪馬台国九州説はなぜ崩れない?吉野ヶ里発掘と魏志倭人伝の新真相
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畿内説と九州説の論争で必ず焦点となるのが、『魏志倭人伝』の記述に見られる方位や距離の矛盾です。テキスト通りに「南へ水行十日・陸行一月」進むと太平洋の洋上に出てしまうという有名な問題に対し、九州説は2つの有力な解釈を提示しています。
第一は、「連続説」ではなく「放射説」をとる見解です。伊都国を外交の基底(中継本部)とし、そこから奴国や不弥国、投馬国、邪馬台国へそれぞれ枝分かれして使節や情報が向かったと読む手法です。これによって日数の過大表記が整理され、すべての国々が九州島内に美しく収まります。
第二は、「南」と「東」の方位誤認(90度のズレ)です。当時の中国人は、日本列島が南へ長く伸びていると認識していました。伊都国や奴国の位置関係から邪馬台国への道程を辿る際、有明海沿岸や筑後平野、あるいは豊の国(大分方面)へ向かうルートをとれば、所要日数や里数のスケール感はまさに九州内部の領域国家と合致します。邪馬台国九州説における有力候補地として、筑後川流域の肥沃な平野部(福岡県八女・甘木・朝倉地域)や佐賀平野が挙がるのは、この地理的整合性に裏打ちされているためです。