興福寺・阿修羅像の憂い顔に迫る!三面六臂の謎と2026年拝観ガイド
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国宝・阿修羅像が誕生した背景には、天平6年(734年)、聖武天皇の妃である光明皇后が、前年に亡くなった最愛の母・橘三千代(たちばなのみちよ)の追善供養のために興福寺・西金堂(さいこんどう)を創建したという歴史があります。
母の菩提を弔うため、当代随一の宮廷仏師である将軍万福(しょうぐんまんぷく)や画工の秦牛養(はたのうしかい)らが総動員され、釈迦如来の眷属として「八部衆像」と「十大弟子像」が造られました。阿修羅像はその八部衆の1体として命を吹き込まれたものです。
この像のしなやかで優美なプロポーションを可能にしたのが、奈良時代に流行した「脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)」という技法です。粘土で原型を作った上に麻布を漆で幾重にも貼り重ねて硬化させ、背中を切り開いて中の粘土を掻き出し、木骨を入れて補強した上で、表面に木屑漆(こくそうるし)を盛り上げて細部を仕上げます。
中身が空洞になるため、像高153.4cmでありながら重量は約15kg前後と極めて軽量です。この軽さと強靭さがあったからこそ、幾重もの火災や戦乱に見舞われた興福寺において、人々が抱えて運び出し、奇跡的に現代までその姿を守り抜くことができました。