フジテレビと産経新聞の複雑な関係|資本の真相と報道姿勢のズレを徹底解剖
フジテレビと産経新聞の複雑な関係|資本の真相と報道姿勢のズレを徹底解剖を詳しくリサーチ! 読者が気になる トピックの裏側を凝縮して配信します。
フジサンケイグループの歴史は、日本の戦後メディア史そのものといっても過言ではありません。その成り立ちは、新聞がテレビを作った読売・朝日・毎日といった他のメガメディアとはまったく異なるルートを辿りました。
ラジオ2社によるフジテレビの誕生と鹿内家の台頭
1950年代後半、テレビ放送の免許交付にあたり、財界主導で設立されたニッポン放送と、カトリック系修道会を母体に持つ文化放送の民間ラジオ2社が中心となり、東宝や松竹などの映画会社を巻き込んで1957年に「富士テレビジョン(現・フジテレビジョン)」が設立されました。ここに、経営難に陥っていた大阪発祥の産業経済新聞社を財界の要請で引き継ぐ形で合流させたのが、グループの始祖となる鹿内信隆(しかない のぶたか)氏です。
信隆氏は「信賞必罰」と「強力なトップダウン」でグループを急成長させ、フジサンケイグループ会議を新設。息子の鹿内春雄氏、女婿の鹿内宏明氏へと権力を世襲させ、日本の巨大メディアとしては異例の「鹿内家による同族支配」を確立しました。この時代、産経新聞は「主張する新聞」として独自の保守路線を鮮明にし、フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」を合言葉に視聴率三冠王へと駆け上がります。
1992年のクーデター劇と「親と子の逆転」が招いたライブドアショック
独裁的な家族経営は、1992年に突如終焉を迎えます。当時フジテレビ社長だった日枝久氏ら生え抜き経営陣が取締役会でクーデターを敢行し、鹿内宏明会長を電撃解任。グループは集団指導体制へと移行しました。
しかし、この再編過程で構造的な歪みが残されました。グループの歴史的経緯から、「売上規模の小さいニッポン放送が、稼ぎ頭であるフジテレビの筆頭株主である」という親子のねじれ構造が放置されていたのです。
この間隙を突いたのが、2005年に起きたライブドア事件(堀江貴文氏によるニッポン放送買収劇)でした。深夜の市場外取引でニッポン放送株を買い占め、実質的にフジテレビの支配権を奪おうとしたこの事件は、日本社会に巨大な衝撃を与えました。最終的にホワイトナイトとして現れたソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)の協力等を経て事態は収拾され、フジテレビがニッポン放送を完全子会社化。ねじれ構造は完全に解消され、2008年の持株会社(フジ・メディア・ホールディングス)体制への移行へと繋がっていきます。