玉砕とは?意味と全滅との決定的な違い、恋愛の覚悟と歴史の真相
玉砕とは?意味と全滅との決定的な違い、恋愛の覚悟と歴史の真相についての真相をご紹介します。
日本において「玉砕」が公の軍事用語として初めて用いられたのは、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)5月のアリューシャン方面「アッツ島の戦い」でした。
当時の報道各社および大本営発表の記録によると、1943年5月29日、山崎保代陸軍大佐率いるアッツ島守備隊約2,600名は、圧倒的な兵力と火力を誇る米軍約1万5,000名を相手に補給を絶たれた絶望的な孤立状態に陥りました。同日夜、残存兵力約150名が最後の突撃を敢行し、組織的抵抗を終了しました。
大本営は翌5月30日夕方、「アッツ島守備部隊全員玉砕」と公式発表しました。当時の軍部には「戦陣訓」に象徴される「生きて虜囚の辱を受けず」という教条が徹底されており、捕虜になることを極端に禁じていました。そのため、敗戦や全滅という不都合な軍事的現実を、「国家のために命を捧げた高潔な忠誠心」へと精神的に昇華させるプロパガンダ用語として「玉砕」が選択された経緯があります。
アッツ島以降、サイパン島、テニアン島、硫黄島、そして沖縄戦に至るまで、各地の孤立した守備隊や民間人を巻き込んだ「玉砕」が繰り返されることとなり、日本近現代史における痛烈な悲劇の象徴として語り継がれています。