本田宗一郎を支えた天才・藤沢武夫の経営哲学と電撃引退の真相
話題沸騰中の 本田宗一郎を支えた天才・藤沢武夫の経営哲学と電撃引退の真相について、多角的な視点を整理して公開しています。
藤沢武夫氏の凄さを語る上で欠かせないのが、既存の商慣習を根底から覆した大胆な戦略の数々です。
代表例が、世界で最も売れた二輪車「スーパーカブ」のマーケティングと生産体制の確立です。1950年代後半、藤沢氏は発売前のスーパーカブの設計図を見た瞬間、「これは全国の蕎麦屋や新聞配達員が待ち望んでいた乗り物だ」と爆発的需要を直感。当時の中小企業としては前代未聞となる、月産3万台規模を誇る鈴鹿製作所の建設を決断しました。会社の資本金をはるかに上回る巨額投資に周囲は猛反対しましたが、藤沢氏は「全国5万軒の自転車店」に直接ダイレクトメールを送り、新たな販売特約店網を一気に開拓することで莫大な販売ルートを自前で作り上げました。
さらに後世の企業組織に絶大な影響を与えたのが、1960年の「本田技術研究所」の完全独立です。開発部門を本社から分社化し、研究員が短期的な営業利益や工場の都合に左右されず、自由闊達に独創的な技術研究へ打ち込める環境を制度として確立。この分離独立によって、後に世界を驚かせた低公害エンジン「CVCC」や四輪市場への電撃参入が実現することとなりました。