三国志で漢王朝が滅亡した真相!劉備の漢室復興と曹丕禅譲の裏側
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董卓が暗殺され、その残党による内乱から命からがら逃げ延びた若き皇帝・献帝。身動きの取れない流浪の天子にいち早く救いの手を差し伸べたのが、稀代の戦略家・曹操でした。196年、曹操は献帝を自身の本拠地である許(後の許昌)に迎え入れます。
この曹操の行動は、単なる忠義心から出たものではありません。軍師・荀彧らが説いた「天子を奉じて不臣を令す(皇帝を擁立して逆らう者を討つ)」という大戦略の実践でした。皇帝を手中に収めた曹操は、自らの敵を「朝敵(国家の反逆者)」として討伐する絶対的な大義名分を手に入れたのです。
形式上は漢の忠臣として振る舞いながらも、朝廷の実権を完全に掌握した曹操に対し、献帝は事実上の傀儡(かいらい)となりました。自由を奪われた献帝は、曹操暗殺を企てた「衣帯の詔(密勅)」を下すなど密かに抵抗を試みますが、計画は露見。関与した董貴人や伏皇后といった愛妃・正妻までもが無残に処刑され、献帝は完全に牙を抜かれることとなりました。