ペストは日本で流行したのか?明治の死闘と最後の感染者から迫る真相

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明治政府がこの未曾有の国難に直面した際、最前線に立ったのが、新千円札の顔としても知られる世界的細菌学者・北里柴三郎でした。国内侵入に先立つ1894年、ペストが猛威を振るっていた英領香港へ日本政府から派遣された北里は、劣悪な現地の死体安置所で不眠不休の調査を敢行。到着からわずか数日という驚異的なスピードでペスト菌(Yersinia pestis)を発見・特定し、世界を驚嘆させました。

当時の手記や同僚への書簡において、北里は「病原体が判明した以上、敵の侵入路を塞ぎ、宿主を叩くことこそが医学の使命である」という痛烈な危機感を残しています。北里の科学的知見に基づき、明治政府と警察部・衛生行政が打ち出した感染封じ込め策は、現代の公衆衛生から見ても凄まじい徹底ぶりでした。それが、歴史上類を見ない「ネズミの公費買い上げ制度」です。

ペスト菌がクマネズミやドブネズミに寄生するノミ(ケオプスネズミノミ等)を介して人間に伝播することを見抜いていた衛生当局は、市民に対して捕獲したネズミを警察署や役所で買い取る政策を実施。当時の相場で1匹あたり「3銭から5銭」(現在の貨幣価値で数百円程度)という報奨金を設定したため、東京や大阪の街中では子供から大人までが血眼になってネズミ捕りに奔走しました。

買い取られたネズミはただ焼却処分されたわけではありません。設置された検温所・解剖所において、専門の検査員が1匹ずつ腹を割き、ペスト菌に感染していないかを顕微鏡で精密検査したのです。もし感染したネズミ(ペストラット)が1匹でも発見されれば、その発見区域の一角をトタン板で完全に包囲し、住民を強制退去させた上で家屋の畳を上げ、石炭酸を用いた徹底的な燻蒸消毒や床上・床下の焼き払いまで実行されました。個人の財産権を大幅に制限する強権的な防疫措置であったものの、この科学的根拠に基づいた徹底的な水際駆除作戦こそが、ペストの土着化を防ぐ決定打となったのです。

清水 千尋

清水 千尋

フード&トラベルライター

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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