幕末を揺るがした異才・平田篤胤の正体|死後の世界と復古神道の謎
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篤胤が主宰した私塾「気吹舎(いぶきのや)」には、全国から入門希望者が殺到しました。宣長派の国学が主に公家や大名、都市の富裕町人を対象とした洗練された雅(みやび)の学問だったのに対し、篤胤の学問は地方の豪農、名主、村医者、神職といった草の根の知識層に熱狂的に受け入れられます。
篤胤の死生観は、「先祖の霊はすぐそばにいて自分たちを見守っている」という農村の素朴な祖霊信仰と完璧に合致していました。気吹舎の門人は篤胤の生前だけで約1000人、没後には養子の平田銕胤(かねたね)らの尽力もあって4000人を超える巨大ネットワークへと膨れ上がります。
そして、この「平田派国学」が全国に浸透したタイミングで、ペリー来航に象徴される欧米列強の圧力が日本を襲いました。篤胤が説いた「日本は神々が生み出した尊い国であり、天皇はその正統な神孫である」という強烈な自国優越主義の教えは、外圧に直面した武士や民衆の危機感と結びつき、尊王攘夷運動の強力なイデオロギーへと昇華していきます。
島崎藤村の名作『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった木曾の庄屋たちのように、全国の草莽(そうもう)の志士たちが平田派国学を胸に抱いて倒幕と明治維新の激動へと身を投じていったのです。