萬屋錦之介の歴代妻3人との愛憎劇|有馬稲子・淡路恵子・甲にしきの真相

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有馬稲子との離婚後、1966年に2人目の妻となったのが女優の淡路恵子でした。淡路は元松竹歌劇団(SKD)出身で、黒澤明監督の『野良犬』などで高い評価を得ていた実力派。当時、フィリピン系歌手ビンゴ・ミキとの離婚歴があり、2人の連れ子を抱えるシングルマザーでした。錦之介からの熱烈なアプローチにより結婚した淡路は、後に錦之介との間に2人の男児(三男・四男)をもうけ、4人の息子の母として家庭を支えます。

しかし、この結婚生活は想像を絶する波乱の連続でした。

「錦之介プロ」倒産と13億円超の巨額負債

映画産業の斜陽化に伴い、錦之介は1968年に自らの映画制作プロダクション「中村プロダクション(後の萬屋プロダクション)」を設立。数々の名作を世に送り出したものの、莫大な制作費と経営不振が重なり、1982年に会社は事実上の破産に追い込まれます。その負債総額は約13億〜14億円という天文学的数字でした。

連帯保証人となっていた淡路恵子は、自宅や私財を投げ打ち、自らも六本木のクラブ経営やテレビ出演に奔走。錦之介の借金を肩代わりし、取り立てに怯えながら返済を続ける過酷な日々を送りました。

難病「重症筋無力症」の発症と献身的な看護

負債問題がピークに達していた1982年、さらなる悲劇が襲います。錦之介が国指定の特定疾患(難病)である重症筋無力症を発症したのです。筋力が著しく低下し、まぶたが開かない、声が出ない、呼吸困難に陥るという絶望的な病状の中で、淡路恵子は自らの睡眠を削り、排泄介助からリハビリの付き添いまで24時間態勢で夫を看病しました。

淡路の献身的な支えと最新医療により、錦之介は奇跡的に病を克服。1984年には舞台『義経千本桜』で見事な復帰を果たしました。世間は淡路を「奇跡を起こした糟糠の妻」と称賛しました。

不倫発覚と泥沼の離婚会見

ところが、奇跡の復活劇の直後に最悪の裏切りが待っていました。錦之介の個人事務所スタッフとして舞台復帰を支え、淡路自身が夫の世話係として信頼を置いていた元宝塚トップスター・甲にしきとの親密な関係が発覚したのです。

1987年、錦之介は淡路に対して一方的に離婚を要求。淡路は緊急記者会見を開き、涙ながらに錦之介の背信行為を糾弾しました。「命がけで看病し、借金を背負ってきた私への仕打ちがこれなのか」という淡路の怒りと無念は世間の同情を集め、大スキャンダルへと発展。最終的に1987年に協議離婚が成立しました。

斉藤 蓮

斉藤 蓮

デジタルマーケティングコンサルタント

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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