賢帝を倒しパクス・ロマーナを砕いた「アントニヌスの疫病」の真相
賢帝を倒しパクス・ロマーナを砕いた「アントニヌスの疫病」の真相にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
Q1:アントニヌスの疫病の直接の病原体は何だったと確定しているのですか?
A1:現代の医学界および歴史学界では、ガレノスの臨床記録にある発疹や膿疱の特徴から「天然痘」が最も有力とされています。ただし、当時の記録のみに頼る部分が大きいため、一部の研究者からは麻疹(はしか)の初期株との重複流行説なども提起されています。
Q2:なぜ「アントニヌス」という名前が付けられているのですか?
A2:疫病が流行した当時の皇帝一族の家名(アントニヌス家)に由来します。統治者であったマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝およびアントニヌス・ピウス帝の時代から続く王朝期に発生したことから、歴史上この名称で呼ばれています。
Q3:疫病がなければローマ帝国は衰退しなかったのでしょうか?
A3:疫病だけが唯一の原因ではありませんが、繁栄を支えていた軍事力と財政基盤を同時に崩壊させた「最大の転換点」であったことは間違いありません。人口減少によって外敵の侵入を防ぎきれなくなり、帝国内部の構造的欠陥が一気に露呈する決定打となりました。