宮沢賢治の死因は急性肺炎。妹は結核で他界。 | かっこいい有名人研究所

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1933年(昭和8年)、宮沢賢治は急性肺炎で亡くなりました。

急性肺炎は細菌やウイルスなどが肺に入ってしまうことで肺に炎症が起こる病気です。

原因:両側肺浸潤

亡くなる5年前の1928年、宮沢賢治は突然高熱で倒れてしまい、病院で「両側肺湿潤」と診断されました。

両側肺湿潤は、胸部レントゲンを撮ったときに、肺がもやもやして鮮明に見えなくなってしまっている状態です。

当時は両側肺湿潤と診断は、肺結核の初期の状態ということを意味していました。

療養生活と仕事に励む

両側肺湿潤と診断されてからは2年ほど療養生活を行っていましたが、体調が回復に向かい、東北砕石工場の技師として働き始めました。

宮沢賢治は製品の改造や注文、販売等であちこち忙しく働きまわっていましたが、再び高熱を出し倒れてしまいました。

そこから、地元に戻り療養生活を再開します。

療養生活中は詩の製作や過去の作品の推敲に取り組んでいました。

なんと医者にもかからず、薬はビール酵母と竹の皮を煎じたもののみで過ごしていたそうです。

死因:急性肺炎

地元の神社のお祭りが行われ、宮沢賢治も神輿や山車を見物し楽しんでいましたが、翌日呼吸が苦しくなり、医者から急性肺炎の兆しと診断されます。

すでに両側肺湿潤と診断されてから5年も経っており、長い療養期間で免疫力が大幅に低下していたことが考えられます。

お祭りの時に人が集まっていたので、何か細菌をもらってしまったのでしょうか。

結局、急性肺炎の兆しと診断された翌日に、宮沢賢治は亡くなりました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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