武家諸法度はなぜ出された?徳川幕府が大名統制を敷いた真の理由と全貌
武家諸法度はなぜ出された?徳川幕府が大名統制を敷いた真の理由と全貌の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。
武家諸法度は単なる道徳的スローガンではなく、違反者には厳しい処罰が下される絶対の掟でした。幕府の命令に背いた大名には、領地没収(改易)、領地削減(減封)、あるいは切腹などの重罰が容赦なく科されました。
代表的な事件が、広島城主であった福島正則の改易です。正則は豊臣秀吉の配下として名高い「賤ヶ岳の七本槍」のひとりであり、関ヶ原の戦いでも東軍として大功を挙げた大名でした。しかし1619年、台風で損壊した広島城の石垣を幕府の正式な許可が出る前に修復したとして、武家諸法度違反に問われ、信濃国へ減転封(実質的な改易)となりました。
このほかにも、無断婚姻や家中不取締りを口実に、徳川初期から家光の治世にかけて数多くの外様大名や譜代大名が改易され、幕府の権力基盤が揺るぎないものとなっていきました。