元祖つけ麺丸長は閉店した?荻窪・目白の現在と大勝軒のルーツを徹底解剖
元祖つけ麺丸長は閉店した?荻窪・目白の現在と大勝軒のルーツを徹底解剖とは一体何なのか? 背景や要点を丁寧に紐解いて紹介します。
日本の麺類史において、丸長が果たした役割は計り知れません。終戦直後の昭和22年(1947年)12月、長野県下高井郡山ノ内町出身の5人(青木勝治氏、山上信成氏、坂口正安氏、青木甲七郎氏、青木保氏)が東京・荻窪の地で共同創業したのが「丸長」の原点です。「長野の『長』」と「円満の『丸』」を取って名付けられたこの店から、日本のラーメン文化の巨大な奔流が生まれました。
この創業メンバーから暖簾分けや独立が広がり、結成されたのが「丸長のれん会」です。のれん会には「丸長」「大勝軒」「栄楽」「丸信」「栄龍軒」といった昭和の名店が名を連ねています。
特につけ麺の歴史において極めて重要なのが、後に「つけ麺の神様」と呼ばれた故・山岸一雄氏の存在です。山岸氏は創業者の従兄弟であり、荻窪丸長で修行を積んだ後、坂口正安氏とともに「中野大勝軒」を立ち上げました。そこで賄いとして食べられていた「湯通しした冷たい麺を濃いスープに浸して食べるスタイル」を商品化したのが、1955年の「特製もりそば」です。つまり、丸長と大勝軒は生き別れの兄弟のような関係であり、つけ麺の遺伝子は丸長の厨房で育まれたと言えます。
丸長系つけそばの特徴は、黒胡椒をガツンと効かせた刺激的な辛味、しっかりとした酸味、そして豚骨と煮干し・節系が織りなす濃厚なコクの三位一体です。このパンチの効いた甘辛酸のスープ設計こそが、現代の濃厚魚介豚骨つけ麺へとつながる全ての土台となっています。