服部半蔵の子孫は現在、和菓子店を経営している! | かっこいい有名人研究所

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服部家は代々、忍者や武将として歴史上活躍した人物がたくさんいます。

その子孫たちの中でも、特に活躍した5人を見ていきましょう。

初代:服部保長


出典:https://www.google.com

服部保長(はっとりやすなが)は、伊賀出身の忍者だったとされています。

室町幕府12代将軍・足利義晴のもとで忍者として働いていました。

しかし、衰退していく足利家を離れ、徳川家に仕えます。

ここから服部半蔵家と徳川家の繋がりができ、2代目、3代目と受け継がれていきます。

服部半蔵というと、忍者のイメージがありますが、忍者だったのは初代・服部半蔵保長1人だけだそうです。

ちなみに、藤子不二雄Ⓐ氏のギャグマンガ『忍者ハットリくん』の主人公「ハットリカンゾウ」は、服部半蔵の子孫という設定だそうです。

藤子不二雄Ⓐ氏は自分の作品の中で忍者ハットリくんが1番のお気に入りとのこと。

きっと、歴史上の服部半蔵にも興味があったんでしょうね。

2代目:服部正成

服部正成(はっとりまさなり)は、服部保長の5男で、戦国時代から安土桃山時代に活躍した三河の武将です。

徳川家康に仕え、16歳で初陣を飾り、多くの功績を残したそうです。

1573年三方ヶ原の戦いでは、徳川軍が大敗する中、服部正成は武功を収めました。

その結果、徳川家康から150人の伊賀衆を預けられました。

東京メトロの半蔵門の名前は、服部正成が由来しています。

徳川家康が江戸城に入る際、服部正成にこの門の警備を命じたことから『半蔵門』と呼ばれるようになったそうです。

3代目:服部正就

服部正就(はっとりまさなり)は、服部正成の長男で、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将です。

父・服部正成の後を継ぎ、服部半蔵の名前と伊賀衆を引き継ぎました。

しかし、服部正就は徳川家から指揮権を預けられたにすぎない伊賀衆たちを、自分の家来かのように扱ってしまいます。

反発した伊賀衆は服部正就解任を要求する騒ぎをおこし、結果、正就は指揮権を解かれてしまったそうです。

大坂の陣が始まると、服部正就は挽回したいと申し出て戦に参加しますが、結局行方不明になり遺体も見つからなかったそうです。

4代目:服部正重

4代目服部正重(はっとりまさしげ)は、服部正成の次男で兄は服部正就。

徳川家康の近侍を務めたと言われています。

1600年関ヶ原の戦いでは、決戦前夜に徳川家康から直々に盃を賜ります。

「お前は若く健気であるから、決して危険な事はせぬように」と家康から声をかけられ感銘を受け奮起してしまいます。

そして、関ヶ原の戦いが始まる前の早朝に1人で敵陣に入り、侍大将の首を取って帰陣しました。

その結果、徳川家康の近侍を解かれてしまったそうです。

当時21歳だった服部正重。

無事に敵の首を取って帰ってこられたから良かったですが、1人で敵陣に向かうとは、とても真似できません。

さすが、歴史に名を残した人物ですね。

12代目:服部正義

服部正義(はっとりまさよし)は、服部半蔵家12代目の政治家・軍人です。

21歳で家督を継ぎ、12代服部半蔵を名乗ります。

戌辰戦争では旧幕府軍として、西南戦争では政府軍新撰旅団中隊長として参戦しています。

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池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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